剪定鋏(ハサミ)の歴史

 剪定鋏は西洋で考案された枝切り用鋏であって、日本で使われるようになったのは、明治の文明開化以降です。 

 もっとも早く紹介されたのは、明治6年(1873年)6月に刊行された北海道開拓史「西洋果樹栽培法」です。 はじめて剪定鋏が売り出されたのは明治35年(1902年)で、農学社がフランスの園用鋏をもとに作ったものとされています。 

 青森県の津軽地方で最初に剪定鋏の製作に取り組んだのは、弘前市茂森の三国定吉氏(明治9年生まれ)です。 三国氏が剪定鋏を作りはじめたいきさつは明らかでありませんが、おそらく、となりまちにいて「りんごの神様」といわれていた外崎嘉七翁が、 鍛冶屋であった三国氏に作らせたのではないかといわれています。 

 その後、外崎嘉七翁は、鋏の握りのふくらみ具合や、全体の大きさ、刃のカーブの曲がり具合などについて改良点をアドバイスしてできたのが、 現在剪定鋏の主流となっている「津軽型りんご剪定鋏」の基になったといわれております。 

 細部について改良を重ねた津軽型の剪定鋏は、のちに「剪定鋏中の名品」といわれ、現在でもりんご生産者が是非一度は使ってみたいとされる、 弘前市独狐の今秀尚氏(作者没)が製作した「独狐の鋏」(○〆(まるしめ)ともいわれる)名鋏や、 弘前市石川の二唐保氏が製作した「卍(まんじ)の鋏」といわる名鋏(現在は製作していない)などが作られました。 


わたしの使っている鋏です。左から「清水一国」、「独狐」、「」の鋏です。

 昔は一丁ずつ手打ちで作られていた剪定鋏も、現在では新潟県三条市や大阪府堺市などの企業による大量生産されたものが多くなってきました。 一時は津軽地域に数多くあった剪定鋏の製作所も、だいぶ少なくはなりましたが、いまも昔ながらの手打ち式にこだわって作っているところもあり、 そのほとんどが我が家の近所にあるということは大変ありがたいものです。 

 因みにいま作られている主なもの(「」内は各鋏の名称)は「薬師堂国定」(三国剪定鋏製作所 南津軽郡大鰐町)、 「六角寿」(三国打刃物店 弘前市茂森町)「茂光」(野崎鋏製作所 弘前市鍛冶町)、 「清水一国」(たざわ刃物製作所 弘前市茂森新町)などです。 

 私は、剪定の際は必ず手打ちの鋏を使っています。手打ちの鋏は大量生産の物に比べて使った後の手入れなどは大変ですが、 手にシックリくる感じや切れ味が全く異なります。また、枝を切る時の抵抗感も少ないので手や腕が疲れることがありません。 

 何よりも大量生産の物は1年くらいでの使い捨てがほとんどですが(切れ味が悪くなるため)、 手打ちのものは使い込んでくると切れ味が増してきます。因みに現在私が使っている「独狐の鋏」は10年以上たっていますが、 その切れ味や使いやすさは大量生産の物とは格段に違います。 

 なによりもりんご作りは、剪定用具なくしては成り立たないわけですから、 職人たちが丹精こめて作った道具を大切に使うという心構えが大事だと思っています。 

参考文献:(財)青森県りんご協会発行「青森りんご栽培史序説」 稲葉脩三 稿

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